帰ってきた書記長のひとりごと

昔の名前で再び始めてみようと思います。

FM-PORTのこと。

 

 

今日から7月。2020年も下半期突入だ。と言ったところで生活に変化も影響もない。

 

昨晩(6月30日)は、FM-PORT(新潟県民エフエム放送)の閉局特番を聴いた。夕食、入浴を早めに済ませて、寝る格好で寝床の上で、22時頃から停波される24時まで放送に耳を傾けた。しんみりしめやかなものではなく、明るく笑いに満ち賑やかな、ともすれば最後に無礼講かと思えるような、実に楽しい時間だった。しかし最後は、やはり深く感じ入るところがあり、それこそ感動しながら最後を見送る形となった。ラスト10分の「明日に架ける橋」(サイモンとガーファンクル)に乗せた数々の関係諸氏からのメッセージに、本当に最後、コールサインと閉局のお知らせ、そして感謝の言葉。radikoではこの後に無音となり、選局画面からはFM-PORTが消失した。(FM放送ではザーというノイズ音、すなわち電波未検出状態となったそうだ。)ラジオ局関係者からの愛、リスナーからの愛、双方からの愛に満ちた「ラジオ局の最期」だった。感無量。

 

中学生の頃からラジオが好きで、当時は月刊誌「ラジオパラダイス」を購読していたくらいなので、居住地である千葉県が可聴範囲内の放送局のみならず、遠隔局のエアチェックにも精を出していた。FM-PORTの開局は2000年ということで、その頃は既に大人になっていたけれど、絶え間ないラジオ好きゆえ、その情報は当然キャッチしていた。また自分はクラシック音楽好きでもあるので、”CLASSICAの飯尾さん”(自分の世代の”クラヲタ”なら、知らない人のほうが少ないのではないか…といったくらいの存在の方)がクラシック番組を持たれている局、という認識が強かった。(調べてみたらその番組「クラシックホワイエ」が始まったのは2010年、開局から10年後のことであった。)そんなFM-PORTの放送を自分が実際に聴くようになったのは、昨年秋にradikoの有料サービス「ラジコプレミアム」に入ってからのことなので、ものの7,8か月ほどだったのだ。新潟に愛着を抱く自分は、新潟のラジオは日常的によく聴くので、その中に勿論FM-PORTも、ということだった。

 

FM-PORTは全国的なFMネットワークに属さない、いわゆる独立系のFM局だったので、番組に個性が光っていたと思う。前出の「クラシックホワイエ」など、民放FM局で1時間枠のクラシック番組というのは存在自体が珍しいものだし、神奈川のAM局「ラジオ日本」の音楽番組を単品でネットしていたのもユニークだった。新潟で活躍する人をゲストに招いてのインタビュー番組にはこれぞローカル局といった地域性と意義を感じたし、つい最近では日曜日の夕方に「ようこそ夢街名曲堂へ!」と「横澤夏子のじょんのびラジオ」を続けて聴きながらのウォーキングが習慣となりつつあるところだった。

 

自分は昔からラジオが好きで、だからFM-PORTのことは早くから知っていて、しかしその放送を実際に聴くようになったのはつい最近で、という立ち位置だったけれど、新潟で開局当初から永らく愛聴してきたリスナーさんたちの心境を思うと、これは想像に絶するものがある。20年といえば、ラジオの存在が生活の一部となるには充分過ぎる時間だと思う。

 

今日、新潟の他のラジオ局(BSNFM新潟)のいくつかの番組のオープニングをつまみ聴いてみた。FM新潟では自分が聴いた限りでは聴き当たることができなかったが、BSNではほぼ、パーソナリティが昨晩のFM-PORT停波について触れていた。そのコメントがどれも(やはり)愛を感じるものだったので、今に至ってもFM-PORTに関することについては感無量、なのである。

 

2年前の9月の頭、ある用事で新潟を訪れた際、宿へ向かう道すがらのやすらぎ堤で録音機材を提げた若い男性に声をかけられ、インタビュー録音に応じさせていただいた思い出がある。それがまさにFM-PORTのスタッフさんだった。「この夏の悲しかった思い出はなんですか?」というテーマで、職場のエアコンが壊れていて自分の体温並みの室温の中で働いている状況をお話した。「話が上手ですね、本職の方かと思いました」なんて褒めていただき(お世辞?)気を良くした記憶がある、「もしよかったら(この内容を)使ってやってください」なんて言ってお別れした。翌朝、ホテルで目覚めると、前日スタッフさんは(使われるとしても)どの番組で使われるかは未定、と言っていたけれども、とりあえずラジオをつけてFM-PORTに合わせた。すると程なくしてインタビューのパートが始まり、私の声が流れてきたのだった。番組は後に地元で人気番組であるということを知った「MORNING GATE」。この時の放送を録音して手元に残せなかったのが心残りであるが、記憶の中にはずっと留めておくのだ。

 

そしてその時に話したエアコンがずっと直されないまま、また暑い夏がやってくる。

 

 

 

(2020.07.01)