帰ってきた書記長のひとりごと

昔の名前で再び始めてみようと思います。

いつもと違う春に。/RYUTist「春にゆびきり」

 

 その昔(といってもそんなに昔ではありませんが)TBSラジオでジャズミュージシャンである菊地成孔さんの「粋な夜電波」という番組がありまして、私はこれをとても愛聴しておりました。幾多の放送時間(帯)の変遷を”数シーズン”経て、惜しまれつつ2018年に番組は終わってしまったのですが、その最初のシーズンの最終回にあたる放送(2011年10月2日)で、菊地さんはアントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」という曲の歌詞を朗読され、そして曲を流されたのでした。菊地さんはこの夜電波より前に担当されたいくつかの他のラジオ番組においても、特集を組んで「三月の水」の歌詞の朗読を行なってこられたのだそうです。そしてこの夜電波において、菊地さん曰く、『今年初めて、この曲のタイトル、そしてメッセージは、我々日本人にとって特別な意味を持つようになりました』、と。そして、『この曲が何かを仕組んだわけではない。我々が何かを仕組んだわけでもない。ただあるがまま、この曲が存在していただけです。大衆音楽とはそういうものだと私は思います』、と。

 


Tom Jobim - ÁGUAS DE MARÇO - Antonio Carlos Jobim - gravação de 1973

 

 前置きが長くなりましたが、今日7月14日に発売されたRYUTistのアルバム「ファルセット」の中に収録されております一曲、「春にゆびきり」についてです。

 

 この曲も、意図せずに”特別な意味を持つに至ってしまった曲”だと思うのです。サビの部分に《消えないよう 忘れないように ほら ゆびきりしよう》という歌詞があります。菊地さんの言葉をお借りすれば、曲も私たちも何かを仕組んだわけではありません。作られて、歌われて、存在するに至った。そして季節は春となり、この曲を含むアルバムが発売…される筈だった。でも、そうはならなかった。あたりまえの春は来ませんでした。アルバムの発売延期はおろか、メンバーとファンが会う機会すら失われてしまいました。前掲の歌詞、《消えないよう 忘れないように ほら ゆびきりしよう》とは、いったいどのようなシチュエーションを想定され、書かれたものなのでしょうか。いろいろな解釈やイメージが、作詞者のみならず曲の聴き手それぞれにあると思います。しかし今、(現在進行形で)会いたい人に思うように会えない状況にある私たちにとっては、この曲はそれこそ特別な意味を持ってしまったのではないかと、思うのです。消えないように、忘れないように…という”切なる想い”は、他人事ではなくなってしまいました。ある意味、これは本当に”わたしたちの歌”なのではないかなぁ、と。そうなってしまったのではないかなぁ、と。そんな思いを抱きながら聴いています。

 

この曲に関してはアルバムの発売延期が決まった後にMVが制作されました。ロケ地は”りゅーとぴあ”、本来であれば6月にここでRYUTist史上最大規模となる単独ライブが開かれることになっていました。(私も行く予定でした。)MVの内容はまさに”特別な意味を持ってしまった”後の「春にゆびきり」、ということになると思います。

 


RYUTist - 春にゆびきり【Official Video】

 

 

 

またいつか、会いに行ける日はくるのかな。覚えていてくれてるかな。

ゆびきり…切ないなぁ。