帰ってきた書記長のひとりごと

昔の名前で再び始めてみようと思います。

前3投稿の後日談。

 

前3投稿(掘り起こし記事)の後日談的なことを書いておきたいと思います。

 

その後、運営及び界隈への不信感は日に日に大きくなっていきました。次々と繰り出される”対応”その全てが、私からすれば悪手としか思えないものだったからです。世間でもワイドショー、週刊誌、新聞等で大々的に取り上げられることが多くなり、そこで巻き起こる大逆風を打ち消そうとする為なのか、界隈の”擁護論”も問題糾弾派に負けず劣らず先鋭化していきました。私が属していたコミュニティでは生誕祭の準備作業が行なわれており、騒動の渦中にあってもLINEを用いた合議などが開かれていて、私もそれに参加していました。しかし、その場では取り繕っていましたが、内心はその話し合いに集中できるような心境ではありませんでした。推しているメンバーに関する大事なことですから、「それどころではない」、などということはないのですが、こんな大問題(当のグループのみならず、もはや世間までをも揺るがすような)が起こっているその只中で誕生日企画の準備をするという、感覚のズレ…これには結局、最後まで馴染むことはできませんでした。コミュニティ内部でいわゆる”運営擁護派”の発言力が強くなっていったことも違和感の背景にはあったと思います。擁護派が台頭した背景としては、各メンバーに付いたコミュニティを横繫がりで連携させる組織(私が関わっていた界隈でいうところでは「二期生企画」というもの)が、事件に対する言及は慎むようにと触れを回していたことが挙げられると思います。応援コミュニティ、生誕委員会といった、言うなれば”半公式”の組織には、運営から強制されるような形ではない箝口令が存在していました。その結果として、擁護派の論調が界隈内では主流派を占めていったのです。

 

4月。チーム解体、その千秋楽公演で山口真帆さん、長谷川玲奈さん、菅原りこさんの卒業が発表されました。予想していたこと(予想していました)とはいえ、脱力感は途轍もないものでした。問題を告発した人が去らざるを得ない状況しか、運営は作れなかった。運営に対する信用は私の中では既に地に堕ちていましたが、もうゼロどころではない、マイナス化していました。擁護できる要素は何一つなくなっていました。そして私が推していたメンバーは、SNSやメールサービスによる発信が目に見えて減っていきました。彼女がどのような心境で、今後どのような判断をするのかはわからない。けれども、自分はもう、このグループのファン活動からいつ身を退くか、辞め時を考える日々となっていました。ファンを辞めない=支持を続ける、ということは、この運営を認めることになる。自分は、少なくともアイドル…特にグループアイドルというものは、まず運営ありきで、それを飛び越えてメンバー個人"のみ"を推し続けることは構造的に不可能だ、と考えていました。また、メンバー本人がどう考えるかはわからないけれども、メンバーがこの組織に身を置き続けることはプラスではないだろう、とも思っていました。だから、ここまで支持できない運営のグループのファンであり続けようというのは、理屈的にも感情的にも成り立たなかったのです。

 

5月18日。山口さん長谷川さん菅原さんの卒業公演が開かれました。当該の卒業メンバーのみの出演という48グループ前代未聞の異例さにもネガティブな衝撃を受けました。先例ではそのようなことは存在しなかった、同僚の門出に立ち会わないメンバーが圧倒的に多いグループとなってしまったのです。(一部のメンバーはコーナー出演を果たしましたが、それは運営の指示に抗った行動とされ、そのメンバーの多数は後にグループを去っていったのです。)公演の生中継を観終わると、私は契約していたNGT48の公式サービス及び他の48グループの同様のサービスも全て解約処理をし、最後に属していたコミュニティからも(謝辞を送った上で)退会したのでした。

(そのコミュニティのある幹部は、個人SNSで「やっと終わってくれた」と呟いていました。この人もまた、告発という勇気ある行動ををただ疎ましく思っていただけだったのかと失望しました。)

 

私が推していたメンバーは、3人の卒業公演に参加をしていました。(異常な状況を諾々とせず芯を通した態度に嬉しさを感じると同時に、その先彼女がとるであろう進路が見えた気がして、粛然としました。)そして6月には活動辞退を発表し、同月末にグループを去りました。私はファンとしてグループの応援から去り、彼女もグループを去りました。「推しているメンバーを最後まで推しきれなかった」という悔恨の念だけが残りました。