2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧
シューベルトの即興曲集、イングリット・ヘブラー女史のピアノで。1963年録音。シューベルトの、不安と耽美、諦観と達観、そういったのものが綯い交ぜになったような音楽(ピアノ曲に顕著)に、時としてものすごく惹きつけられることがある。 あ、質問の答え…
ハンス・フォンク指揮、ハーグ・レジデンティ管の演奏で、ブル6でございます。ホールトーンと対極的な、各声部をかなりセパレートに捉えた録音で、その感じが「あれに近いな」と思ったのが、ロジェベン指揮ソ連国立文化省オケの録音だったりいたします(思っ…
マルティヌーの交響曲第4番を、父ヤルヴィ指揮バンベルク交響楽団の演奏で。直截、剛直なヤルヴィの棒は、夢みるような浮遊した情緒が特徴のマルティヌーの音楽と相性や如何に…と思ったところ、それは杞憂でした。むしろメリハリが効いてより聴かせてくれる…
ピアソラの作品数曲と、ヒナステラのバレエ組曲「エスタンシア」より3曲、ペドロ・イグナチオ・カルデロン指揮、ブエノスアイレス交響楽団による録音。ピアソラはポピュラーでキャッチーだけれど、自分はその良さがわかるにはまだまだだなぁ…と。ヒナステラ…
頭も心もボーッと焦点が定まらないコンディションの時は、個人的に馴染みの薄い曲のほうが聴いていて邪魔にならないようです(邪魔とは失礼な物言いですが)。ということをシベリウスの「ポヒョラの娘」を聴きながら思ったわけです。この曲、初めて自分にス…
最後の交響曲に至って打楽器による諧謔と精緻に辿り着いたショスタコーヴィチ。マルティヌーの場合は、木管による細やかなパッセージの展開がそれに当たるのだろうか。抽象的には夏の夜、具体的にはモスキートの飛来が終始止まない不思議な世界。カップリン…
アメリカよ、どこへ行く…自由と寛容の大国は第三者が臨んだ幻想だったのか?"Great"という言葉がどこへ、何にかかってくるのか、これから注視していきたいところ。さてこの2曲につきましては"偉大なアメリカの交響曲"に間違いなく。なかなか佳いカップリング…
秋山和慶指揮ヴァンクーヴァー交響楽団による、フランクの交響曲を。これは名演。秋山さんの丁寧な音楽づくりは言うまでもなく、重心高めのオケのバリッと軽く明るい金管によりこの曲の地理的位置付けが実際よりもフランス側へ寄っている。一切鈍重さのない…
ファリャ「はかなき人生」、ヴァルデス指揮アストゥリアス響による録音。告白しますと全曲盤でもまず(いわゆる)"スペイン舞曲"の部分しか聴かないのですスイマセン。ポピュラーな"第1番"だけでなく、全曲盤だと"第2番"も聴けます。後者もなかなか名曲なの…
茶の間の団らん今は無く、自室で夕食、晩酌が続く。人生の苦み、人間の業を思い、心にしみるブラームスの4番。ロベルト・ベンツィ指揮、ボルドー管弦楽団のこの演奏が素晴らしい。流麗な劇性、緻密な演奏構成、美音なるオーケストラ。ワインではなくウイスキ…
茶の間の団らん今は無く、自室で夕食、晩酌が続く。人生の苦み、人間の業を思い、心にしみるブラームスの4番。ロベルト・ベンツィ指揮、ボルドー管弦楽団のこの演奏が素晴らしい。流麗な劇性、緻密な演奏構成、美音なるオーケストラ。ワインではなくウイスキ…
飲みながらまた寝落ちてしまった。コップの中の氷は溶けて、薄いウイスキーの微炭酸割りとなっていた。マーラーの「大地の歌」。生は暗く、死もまた暗し。飲み下したそれの苦さよ。秋に寂しき者は私だ。
ビゼーの「アルルの女」第1第2組曲を、マルティノン指揮シカゴ響で。後のショルティ時代にトレードマークとしても知られることになるゴージャスな弦、ブリリアントな金管が、萌芽的に聴かれる。マルティノンの表情付けも雰囲気があり聴き応えがあるが、この…
ドビュッシーの「海」、スヴェトラーノフ指揮ロシア国立響の演奏、1993年2月13日、モスクワ音楽院大ホールにおけるライブ録音。剛毅であり曖昧さとは対極にある描写、浮世絵というよりは油絵的な筆致、この波しぶきに当たったら痛かろう。しかしながら繊細で…