帰ってきた書記長のひとりごと

昔の名前で再び始めてみようと思います。

他人からすれば些細なことでも。

他人からすれば本当に些細なことで私は鬱のようなモードに入ってしまうことがしばしばあり、今回は買い物の会計時にレジの店員さんに購入品(食料品)を床に落とされてしまったことだった。「取り替えてきます」という店員さんに「お願いします」と応じたものの、同じ品をそこそこの量買っていたので一つくらい無くていいと思い、「やっぱそれ、買わないにします」と言ったのだが、「替えないにします」と受け取られたようで、それではと他の購入品と同じ袋に入れられてしまった。潔癖症の自分にとっては澄んだ水に一滴でも墨汁が落ちればその水はもう墨なのである。その時点で私の頭は真っ白になってしまい、まるで麻痺したかのように何の言葉も紡げなかった。流れのままに全品購入。しかし潔癖なので、床に落とされたものはもうダメなのだ。そして、表現は汚いがクソもミソも一緒になってしまった、購入した全品も即ちダメになってしまったのだ。抗えなかった自責、自分の伝え方がもっと違っていたならばという後悔、折角時間をかけて吟味した買い物がオジャンになってしまったという悲しみ等でもう、”ショック”この4文字で完全に押し潰されてしまった。抗弁も出来ただろうし、店を出てからやはりこれはダメだとまた戻って交換なり返品なりも出来ただろうけれども、自分はこれだけ気になっておきながら”クレーマーだと思われる”、”神経質な(病んでいる)客だと思われる”ことを想像し、そうは思われたくないという気持ちからそのような行動には出られなかった。「どうしてこんなことに」「自分があの時ああしていれば」「だいたい会計処理時にアプリ勧誘の説明など熱心にしているから手元が疎かになったのだ」「決して安くない金額が台無しになった」等々感情が渦巻き、車を運転しながらここ数年発していないレベルの大声をあげた。こんなことでグジグジやっていたらそれこそ病気だ、先が思いやられる、でも如何ともしがたいこの感情、ショックを受け打ちひしがれている自分。購入品全てを消毒用エタノールでぬぐいまくるか、あるいは見るのも辛い、これらを全て捨ててしまうか…(総額は一万円弱である)。

 

帰宅して数時間、自分はまだこの辛い思いの渦の中にいる。”こんなこと”でここまで思い詰める人間もいるのだ、という話です。

 

とても苦しい。